私たちは何かと、人や会社や社会からの評価が欲しい生き物。
会社での昇格、異動、偏差値、大学、年収、著名人、フォロワーの数、クラスで人気者かどうか、モテるかどうか、などなど
学校時代から、大人になっても、幾つになっても人からの評価や承認を気にしてしまうのが
私たち人間の性かもしれません。
人間社会で上手に生きる術として、人や会社や社会から評価を受けることは
昔も今もこれからも、意義はあり続けるでしょう。
心理学で有名な、5段階欲求説を掲げたマズローさんも、私たち人間が幸せな人生を送る上で、
承認欲求を満たすことがとても大切であると説いています。
ですが、私たちの多くは、他人からの評価を気にしすぎてしまい、苦しくなってしまうケースがとても多いと感じています。
なぜかというと、
他人からの評価を軸に人生を生きてしまうと、
自分らしく、自分の本心に沿った人生ではなく、他人に自分の人生を預けてしまうことになるからです。
そして、他人とか社会の評価を起点にするので、いつも他の人との比較競争の中で、
優劣を決められ、もし誰かに負けたり、誰かと比べて評価が低かったとしたら、
「自分はダメだ」とか「価値がない」などの思い込みにはまっていってしまいます(これ、完全なる思い込みなだけです)。
人との競争によって物質的豊かさを得て発展してきた、昭和から続く今の社会では、こういう意識や発想になりがちなのは、仕方ないことなのかもしれません。
私も小さい頃から、競争の中で生きてきたので(そして素直にこれを受け入れていた)、この仕組みに気づくまで長年、人から認められようと頑張って、頑張って、苦しかったのを思い出します。
また、人の評価に沿って生きれば生きるほど、自分の本心に沿って生きていない状態なので、自分が本当にやりたいこととか、自分の強みとか得意分野に気づくことも難しくなっていきます。
よく、自己啓発とかキャリア開発、会社での研修なんかでも、
「自律して自分の得意を活かしていきましょう!」とか「自分の強みを発揮していきましょう!」とか聞いたことがあるんじゃないかと思いますが、
一方で、「自分が本当にやりたいことがイマイチよくわからない」「自分の得意や強みがわからない」という根底には、
人や社会の評価を基準に自分を評価しているだけなのかもしれません。
もちろん、そんな中でもものすごい努力をして、社会的地位を勝ち取ってきた人も少なからずいますし、私もたくさん知っています。
ですが、彼らと話すと、いくら人から認められる評価や功績を得たとしても、
今度は「評価を失うことへの不安や恐れ」や、
もっとすごい人たちに会ったときの劣等感、
できない人たちを見たときの優越感からくる人間関係のこじれやストレス・・などなど
に苦しむ声をよく聞くのです。
幸せになるために頑張ってきたのに・・
人から評価されたら幸せになれると思ったのに・・
あれ?って感じです。
一方で、人から認められ、尊敬されながらも、ものすごく幸せに生きている人もいます。
そういう人たちに共通しているのは、
人からの評価とか承認を、あまり気にしていません。
少なくとも、人からの評価を基準に自分の人生を生きているのではなく、
自分の本心に従って、自分の軸で物事を考え、行動している人です。
他人がなんと言おうが、
自分の好きなこと、好きな人、得意なこと、興味のあることを大切にしていて、
その物事にとても素直に忠実に生きている、自分ととっても仲良しな人です。
自分の本心がわかっているから、そして何より、他人からの評価によって、
自分の価値が左右されることはないので、
自分の好きなこと・得意なことを素直に表現し、楽しくパワフルに行動していきます。
自分が得意で好きなことなので、結果、人の役にも立ち、人からも喜ばれて認められ尊敬されるという好循環。
また、素の状態で生きているので、周りには、そんな素のあなたを尊敬し、好きな人たちばかりが集まってきます(もちろん、素のあなたを嫌いな人や違和感のある人は去っていきますが・・)
人から認められようと、頑張って苦労して、社会的承認を得る道も、
自分軸で生きて、好きで得意なことで才能を発揮していく道も
どちらもありますし、自分次第でいつでも選べます。
どちらでも評価を得られるなら、あなたはどちらの道を選びたいですか。
はなみ ゆうか(人や社会からの評価に左右されるほど、あなたの価値や可能性はそんなもんじゃないよー)