最近、色々な方たちの人生や、ネガティブ体験を伺う中で、気づいたことがあります。

それは、ネガティブな感情もふか〜い根っこに愛があるということ。

その愛が叶えられない(かも)と感じた時に、悲しみとか怒り不安とか、そういうネガティブな感覚が生まれるんです。

例えば、これは私自身の経験からも言えることですが、

小さいころ、私たちは

「大好きなお母さんにいつも笑顔でいてほしくて、幸せでいてほしくて、いつも笑っていてほしい」

と思って生きています。

そんな思いから、小さいなりに一生懸命、お母さんを笑顔にしようとした。

だって、大好きなお母さんにいつも幸せでいてほしいから。

大好きなお母さんにいつも笑っていてほしかったから。

でも、それが叶わなかったとき、無力感を感じて、自分が悪いんじゃないかと思い始めた。

お母さんが何か嫌なことがあってイライラして怒っている時、

辛いことがあって殻に閉じこもってしまった時、

お母さん自身が自分の人生を必死に生きていて、

自分への注意を向ける時間が少なくなった時に、

自分は愛されていないんじゃないか、と感じちゃった。

元々は優しくて、いつも笑っていて、一緒にお昼寝もして、あったかくて大好きだったお母さん。

でも、お母さんの人生にも色々あって、

その嫌な出来事がきっかけで、お母さんがネガティブになった時から

自分の中で、

本当は愛されていないんじゃないか

とか

愛を失う恐れが生まれて、

大人になっても、いつも心の奥底にそんな感覚を抱えて生きてきた。

何か嫌なことがあると、その感覚がムクムク刺激されて、

すごく辛かった。誰かがそばにいても、いつもどこか孤独だし、寂しかった。

いつもどこかで安心できなかった。

そんな自分を嫌に思うと同時に、そのきっかけを作った親を恨んだこともあった。

でも、大好きなお母さんに、

「ただ笑ってほしかっただけなんだ。

大好きな人にはいつも幸せでいてほしいだけだったんんだ。

大好きな人に笑顔でいて欲しくて、小さな体で頑張って喜ばせようとしただけだったんだ。」

そんな自分の心の根底にある、本当に美しいピュアな愛から、全てのネガティブな感覚が

生まれたことを知った時、長年の悲しみ、苦しみがフッと消えた。

なんだ、全て愛からできているんじゃないか。

と思った時、ネガティブが本当の意味でLOVEに変わった。

だから、これからも大好きな人たちと一緒に、ただ笑って、幸せでいたい。

色々な人の人生を伺ったりする中で、私自身の人生とも重なり合うことが多く、

誰しも根底は深く美しい愛でできていることに本当の意味で気づいた時、

もう涙が止まりませんでした。

私たち誰しも、本質はこんなとてもピュアな愛でできています。

ネガティブな感覚さえ、そんな愛の副産物です。

だから、もし、辛いことがあっても大丈夫!

そんな時こそ、小さい頃の自分を思い出して、大切な人たちに幸せと喜びの種をまく、

花咲か爺さんならぬ、花咲坊や?花咲お嬢ちゃん?である自分に気づくチャンスなのですから。

はなみ ゆうか (昨日も今日も明日も明後日も、ずーっと私たちは愛でできている♾)